シルビア

仕事一筋で生きてきたけど38歳で第一子を出産!子育てや仕事のこと中心に書いていきます。

転院 〜その1〜

ところで私は出産にめちゃくちゃ恐怖感を抱いていた。

非妊婦だった時は、「世の中の妊婦さんは出産に対する恐怖感なんて

無いんだろうな、強いな」と勝手に妄想していたけど、いざ自分がなってみて

ネットでいろいろ検索してみると、私と同じ気持ちを抱いている人が

結構いることに気が付いた。

 

何が怖いって、死ぬほど痛い(らしい)こと!

 

出産の痛みって、他の痛みに例えるとどんなもんかと調べてみたら

「ヤ●ザさんが指をツメる時の痛みの次に痛い」という記事を見つけてしまい、

 

これはアカン!(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

 

となりまして。

ちなみに私の通っている病院は無痛分娩に対応していない。

 

「そうだ、転院しよう!」

 

もはや「そうだ、京都行こう」的なノリです。

そんなノリでもないとやってられないほどの恐怖が襲いかかるわけです。

出産した友人も「痛みがトラウマすぎて二人目いらない」と言うほどの痛み。

無痛にできるならやるべきでしょ?と。

 

そして20週目に、24時間無痛分娩対応可能な病院に転院しました。

 

 

 

食べ悪阻

私はあまり悪阻がひどくなかったと思う。

しいて言うなら食べ悪阻だったっぽい。

よくテレビで見るような「うっ」とか言いながらトイレに駆け込むことは

無かった代わりに、お腹の調子が悪いことが多く、そのせいでトイレに

駆け込むことはあった(^_^;)

 

とはいえ食べていないと気持ち悪いので、トマトジュースをよく飲み、

ピーナッツやクルミを間食とし、夜は冷麦をよく食べた。

セブンイレブンの豚肉ともやしの惣菜もよく食べたなー、

 

そして死ぬほど大好きだった甘い食べ物を食べなくなった。

そのおかげもあり、つわりが終わる17週目時点で、体重は2kgぐらいしか

増えていなかった。

 

職場では空腹になりがちな午前中と夕方は気持ち悪かったけど、

家にずっといたら何も考えることがなくてもっと症状悪化してたかも?

私は働いていた方が良かったみたいでした。

上司に報告

昇進の辞令を受けた次の日が3回目の定期健診だった。

胎動が始まるまでは胎児が生きているのか全くわからないので、

念の為この定期検診でエコーを見てから報告することにした。

 

結果、元気に生きていることがわかりひと安心。

そして翌営業日、いよいよ上司に報告した。

年齢も37歳、特に子供が欲しいと思わないと周囲に公言していたこともあり

上司の顔が一瞬「おいおい、マジか!?」ってなったのを見逃さなかった。

そりゃそうだ、私自身もまだ信じられない。

 

そして仕事上でも私はそこそこ重要な仕事を任されており、

恐らく上司としても今後のことで頭を抱えたくなっただろう・・

でも誰か一人いなくなっても会社はだいたい回る。

混乱なんて最初の数ヶ月程度だ。

私は5回転職しているのでそれはよくわかっているつもり。

 

そんなことより昇進のことが気になったので、率直に聞いてみた。

「まさか昇進すると思わなかったんですけど、あのお話しって

どうなるんですか・・?」と。

そしてら「一応社長に話すけど、復帰するつもりだろうし、そのままじゃない?」

とのこと。

まぁ今は妊娠したからといって降格させたらダメなので、

一応ホワイト企業である弊社、降格はさせないだろうとその時悟った。

 

さぁ次はメンバー達にいつ公表するか。

早く言わないと妊婦マークも付けられないし。

昇進しちゃったよ

母子手帳もゲットし、いよいよ会社に報告しなきゃ!という段階に。

でも正直なところ、いつ会社に報告するのが正解なのか、凄く迷った。

安定期に入ってからだと遅いし、10週目のいま報告してしまって

万が一のことがあったら気まずいし。

 

でもインターネットで調べてみると、安定期前に報告する人が多いよう。

そりゃそうだよね。悪阻で出勤できなくなる人もいっぱいいるだろうし。

 

ということで、私も11週に入ったら報告しようと決めた。

 

と思っていたら、上司から呼び出され・・・

「査定会議で、職級が一つ上がることになったよ。おめでとう。」

 

What's!?

いや、大変ありがたいんだけど、妊娠したこと言い出しにくっ!!

 

現職は入社して5年目で、6名チームのリーダーをしている。

このまま課長になれたらな・・なんて思っていたので昇進は嬉しかったけど、

妊娠したって報告したら昇進は無かったことにされるんだろうか?

ということが頭をよぎった。。

母子手帳をゲットした日。

10週目健診の翌週、早速会社を休んで市役所へ。

 

母子手帳貰って終わりだと思っていたら、受付票?みたいな紙に

氏名等の個人情報を記入し、次から次へといろいろな冊子やらチラシを渡された。

 

そして年齢を見た担当の女性が開口一番に「不妊治療されてたんですか?」。

不妊治療してる人、多いんだろうな。

この年齢で子供できると「やっとできたんだね」って感じなんだろうな。

別にどう思われても気にしないけどさ。

 

それよりドキっとしたのは、35歳以上で妊娠した人向けのチラシ。

今まで自由を謳歌してきた(であろう)夫婦は、急に子供中心の生活になることで

産後うつを発症する傾向が、他の年代より高いらしい。

周囲にサポートしてくれる人はいるかとか、いろいろ聞かれた。

自分が高齢出産であることを明確に認識したのは、意外にもこの時が初めてかも。

産婦人科は「今や高齢出産なんて当たり前」ぐらいの感じだったので余計に。

 

なので旦那にも、父親として一緒に子育てに立ち向かってほしいという

気持ちがより一層強くなり、家に帰って冊子を見せたら

「ファミレスで一気に読もう」と。

2時間かけて二人で全部読みました(^◇^;)

10週目健診

10週目に入り、旦那と産婦人科へ。

無事に心音を確認することができ、母子手帳をゲットするよう指示が。

 

ってゆーか妊娠したらすぐに母子手帳貰えるものだと思ってたし、

何かと物議を醸している妊婦マークもすぐにどこかで貰えるものだと思ってた。

わたし、仕事のこと以外なんにも知らずに生きてたな。

 

と同時に、安定期に入るまでは気が抜けないなという責任感が

一気に湧いてきたのもこの時期。

まだクリオネみたいな胎児を見た旦那も

「もう生きてるじゃん。死なせたらダメだ。」とか言い出して。

 

帰りの車の中では、まだ性別もわからないのに名前の候補を

挙げ始める夫婦なのでした。

今年の夏は酷暑で辛かった。

ところで妊娠してから今日までのことを振り返ると、

何が一番印象に残ったかって、

「今年の夏、暑過ぎただろ!!!」

ということでした。はい。

 

私の悪阻は17週目ぐらいまで続いたけど、一番のピークは

5月から6月ぐらいだったので、最も暑い時期は避けられた。

でもピークが7月・8月だったら多分死んでた。

幸い、会社には行ける程度の悪阻だったから良かったけど。

あの殺人的な暑さを乗り切った今年の妊婦さん、本当にお疲れ様でした!

 

その後は風疹、インフルエンザ、普通の風邪にも罹らず

何とか産休に入れたので良かった良かった・・。